どうも僕です☆今回は売れるまでに時間のかかった苦労人ももいろクローバーZの過去についてです!
ももいろクローバーZとはどんなアイドルグループ?
とりあえず簡単にではあるが、ももクロの歴史と過去のメンバーを紹介します。
ももクロといえば、とにかく涙なくしてはみれないエピソードや歴史が大きな魅力の一つです。
今の彼女達の人気や地位も簡単に手に入れたものではありません。
数々の一筋縄ではいかない困難と立ち向かい乗り越えてきての今です。
ももいろクローバーZは2025年現在4人組のダンスパフォーマンスアイドルグループである。
今現在のももいろクローバーZのメンバー
・百田夏菜子
・玉井詩織
・高城れに
・佐々木彩夏
ちなみにももいろクローバー時代の6人体制のメンバーは…
ココがポイント
・百田夏菜子
・玉井詩織
・高城れに
・佐々木彩夏
・有安杏果
・早見あかり
しかしまだまだももクロの歴史は深い…その歴史を紐解いて行こう…
ももクロのプロトタイプメンバー、高井つき奈・伊倉愛美・和川未優・高城れに・弓川留奈
時は遡り2007年10月。
北川景子・柴咲コウ・竹内結子らが所属する1流芸能事務所スターダストプロモーションとして初の本格的なアイドルグループを作ろうというプロジェクトが始動した。
そこで、スターダストプロモーション芸能3部の中から高井つき奈・伊倉愛美・和川未優・高城れに・弓川留奈の5人が選出された。
※この当時まだももいろクローバーというグループ名も決まってはいなかったが、このメンバーがももクロのプロトタイプメンバーである。
この時プロデューサー兼マネージャーに抜擢されたのがももクロと言えばこの人の川上アキラである。
彼は元々、2019年に麻薬取締法違反容疑で逮捕された沢尻エリカのマネージャーである。
同時期に沢尻エリカの映画「クローズドノート」の舞台挨拶での「別に。」発言で彼女が芸能界から干されてしまった。
その件があり、会社で暇そうにしていたという理由でももいろクローバーのマネージャーになったという経緯がある。笑
結果として今は大成功したももクロであるが、今現在50歳の彼。
当時30代半ばで当時プロレスやガンダムなどが好きな事もあり、当時のももクロは自分の趣味をふんだんに取り入れた
かなりプロレス色が強いとう異色のアイドルグループであった。。
まさかこれが同じ年齢層の男性に受けて人気をはくし後にここまでのアイドルグループになるなど想像もしていなかったであろうことは言うまでもない(笑)
方向性が定まらず迷走を続けていた2008年~2009年のももクロ
2008年3月メンバー変更が発表される。高井つき奈・伊倉愛美・高城れに・和川未優・玉井詩織・百田夏菜子の6人となる。
メンバーだった弓川留奈はモデル中心の活動に専念するため脱退。弓川留奈がももクロ最初の脱退メンバーとなる。
同時にここでついにグループ名が決まる。「ピュアな女の子が、幸せを運びたい」という意味を込めてグループ名は「ももいろクローバー」とした。
ココがポイント☆
2008年5月17日がももいろクローバ公式の結成日であり誕生日。
同年には、藤白すみれ・柏幸奈・早見あかり・佐々木彩夏が活動途中で加入。
メンバー数はこの時が1番多くなり9人組のグループに。しかしすぐに和川未優・伊倉愛美・高井つき奈・藤白すみれ、がグループを脱退するなど、
方向性が定まらずメンバーの入れ替わりばかりが続く迷走期に突入していた。
さらに2009年3月9日に柏幸奈が脱退。2009年7月26日に有安杏果が加入しここでやっと迷走期を抜け出し、ももいろクローバー6人で方向性も固まり
イメージカラーの赤、黄、緑、青、紫、桃の色が各メンバーについて担当になった。
ここまでももクロはメンバーの入れ替わりが激しかったが有安杏果が最後のももいろクローバーへの加入メンバーとなった。
当時リーダーは高城れにであったが精神的な問題で百田夏菜子と交代している。
週末ヒロインももいろクローバーZの夢と目標
今でこそももクロも全員20代後半や30代のメンバー達であるが、結成当時は全員が学生で10代前半であったために
「週末ヒロイン」と称して土日を中心にLIVE活動やイベントなどを開催していた。
当時は2人、3人の客を相手に代々木公園の路上ライブからのスタートしたまさに苦労人。
代々木公園はNHKホールと隣接していたため「紅白歌合戦への出場」というこの当時は「夢」「目標」を持つきっかけとなった。
この夢は後に叶う。
他にもワゴン車1台でももクロのメンバーが車中泊をしながら全国各地のヤマダ電機を回り店先で踊ってCDを手売りするなど数多くの下積みを経ておりグループ結成からメジャーデビューまでに約2年を費やしている。
そしてこの当時はアイドルグループといえばAKB48が1強であった。
グラビアで水着になり握手会などを頻繁に開催しファンと接触し性の対象とさせることで人気を加速させていた頃だ。
しかしその代償ともいえるが事件は起こる…
2014年5月25日の岩手県滝沢市の岩手産業文化センターでのAKB48の握手会。
AKB48で川栄李奈や入山杏奈が犠牲にあった握手会襲撃事件が起こる。
ここでも、ももクロのとの決定的な差が出る。
ももクロの特徴としてAKBのような、水着や下着などの露出度の高いグラビア系の仕事はしないというスタイルだった。
というのも、ももクロは握手会など、ファン接触系のイベントも現在は行っていない。※結成当時は多少はしていた。
この辺は有名人気女優さんも多く抱える大手芸能事務所スターダストプロモーション
という事務所だけに、そういう方針だったかもしれないが
実にメンバー思いな運営であると感じる。
バンバンとミリオンを飛ばすAKBグループに比べると、シングルの売り上げは最高でも10万枚前後ではあるが
そのLIVE人気は今でも凄まじく、乃木坂のLIVEにも行く僕だがファンの熱ではモノノフに軍配か?と思うほどである。
ももクロのファンやオタの事を敬意を込めて「モノノフ」と呼んでいる。
ももクロから早見あかりと有安杏果が脱退も活動の歩みを止めないももクロの凄さ
2010年5月5日代表曲となるメジャー・デビューシングル「行くぜっ!怪盗少女」を発表。リーダー百田のエビ反りジャンプはももクロの代名詞的存在になった。
2011年4月サブリーダーであり精神的主柱であった青色担当の早見あかりがグループを脱退した。理由は「可愛くない自分はアイドルに向いていないから」だった。
加入脱退の続いた迷走期を抜け、6人体制で安定していたももクロもまた5人になった。
しかしここからがももクロは凄かった…
彼女達の代表曲ピンキージョーンズの歌詞の中で「逆境こそがチャンスだぜ」という実に前向きで素晴らしい歌詞があるがまさにそれを地でいったのがももクロだ。
早見あかり脱退の件があり、心機一転「ももいろクローバー」から「ももいろクローバーZ」へとグループ名を改名をした。「Z」はアニソン歌手の水木一郎からとっている。
そしてここから人気が大爆発していく。
2011年。ヒャダインこと前山田健一を向かえたメジャー1stアルバム「バトル アンド ロマンス」がスマッシュヒット。
これにより2012年には夢であったは2012年12月31日「第63回NHK紅白歌合戦」に初出場することとなる。
人気はピークを迎えたが2018年には有安杏果がまさかの脱退。メンバーついに4人となり解散の危機を向かせたがそれでも前を向いて活動を継続している。
ももクロは迷走時期を乗り越えながら地道な活動でやっと売れた苦労人でもある。
これからもその歩みが止まることはないだろう。
ではまた☆