どうも僕です☆今回は同じ1994年の国民的なライバル関係のロックバンドL'Arc~en~CielとGLAYについてです!
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GLAYとL'Arc~en~Cielの全盛期は活動が無茶苦茶だった?今では考えられないリリーススパン!
この当時のL'Arc~en~CielやGLAYの活動はある意味めちゃくちゃだったね。
音楽業界的にも全盛期でCDも出せば売れるイケイケどんどんな時代。
ゆえにこの頃はリリーススパンも短くバンバン新曲にアルバムにベストアルバムに出しまくってた。
その分レコーディングなどの日程も過密で、新曲もどんどん作らないといけない。
その中でLIVEもこなさないといけない。LIVEにしても今では考えられない大規模なものが多かったですしね。
スケジュールは過密を極め精神的にも肉体的にも限界だった。
L'Arc~en~Cielも例外ではない。そりゃ活動休止もするわな。解散までいかなかったのが奇跡的なぐらいだ。
GLAYはこのスケジュールでも精力的に活動し続け今現在まで1度の活動休止も挟まなかったのはある意味異常とも言えますね。
この2組は本当に凄い偉大なる国民的なロックバンドだ。
L'Arc~en~Cielの怒涛のリリースラッシュが凄すぎる!
今のラルク見てると思うけど90年代って活発だったなってこと。もはや異常だったな。
1998年7月8日は歴史的な日となる。10thシングル「HONEY」11thシングル「花葬」12thシングル「浸食 〜lose control〜」のシングル3作を同日に同時発売。
この同時発売によりCD発売2週目にはオリコン週間シングルチャート1位と2位を独占。「HONEY」「花葬」の2作がシングルとしてはL'Arc~en~Ciel初のミリオンセラーを達成。3作合計でのトータルセールスは300万枚を超えている。
L'Arc~en~Cielのシングル最高売上を記録した「HONEY」は全日本有線放送大賞を獲得。さらにその勢いで1998年12月31日のNHK紅白歌合戦に初出場!そこで「HONEY」を披露している。
L'Arc~en~Cielの勢いは続き1998年10月7日には「snow drop」をリリース。翌週の10月14日には「forbidden lover」のシングル2作を2週連続発売を決行。「snow drop」は自身3作目のミリオンセールスを達成。
この当時はプロレスラーの藤原喜明が登場するテレビCMも話題だった。事件現場を舞台に刑事役の藤原が現場を見渡しながら「3枚出たばかりでまたか!」と言った途端、唐突にシングル2週連続発売が告知されるコミカルな演出も記憶に残っている。
さらに前週に発売の「snow drop」と翌週の「forbidden lover」でオリコンチャート史上初の2度目のシングルチャート1位と2位の独占を達成した。
1998年にリリースしたCDシングル7作品全てがオリコン年間シングルランキングTOP30入りを果たす偉業を達成した。
L'Arc~en~Cielの絶頂期!2枚同時発売のアルバムが400万枚越え!
さらに翌年もL'Arc~en~Cielの勢いはとどまることを知らずこう宣言。
「本年もよろしくお願いします。L'Arc~en~Cielは1999年ベストアルバムは出しません。オリジナルアルバムをお楽しみに!」との年初の挨拶広告を新聞紙面に打ち出した。
この当時はB'zやGLAYなどのアーティストが数多くのベストアルバムを立て続けにリリースし凄まじい売り上げを上げていた頃だ。
そのため巷では「ラルクもベストアルバムを出すのでは?」という噂が囁かれていた。それに反抗するかのように予告通り、7月1日には6thアルバム『ark』と7thアルバム『ray』のアルバム2作を同時発売。
2作合わせ初動300万枚以上、トータルセールス400万枚以上を売り上げ『ark』と『ray』2作ともダブルミリオンでオリコン歴代アルバムランキングTOP100にランクインするほどのL'Arc~en~Cielの代表的な大ヒット作となった。
1999年7月からはL'Arc~en~Ciel初の野外ライブツアーであり自己最大規模の野外ツアーとなった「1999 GRAND CROSS TOUR」を全国6都市で開催。
このツアーのコンセプトは「誰もコンサートをやっていないところでライブをやろう!」という目的から本公演では既存のスタジアムを用いず各会場に特設ステージを設置する大掛かりなものとなった。
結果全12公演で65万人を動員する自己最大規模のツアーとなりボーカルのhydeはこのツアーをバンドの歴史の中で一番記憶に残っているコンサートとして挙げている。
「このコンサートはホントに未だに夢のように思いますね。人の地平線に向かって歌えたという。この時期の集大成です。」と述べている。
1998月8月21日・22日に行われたこのツアーの東京・東京国際展示場 駐車場特設ステージ公演では、自己最多動員数となる1日で12万5千人 (2日で25万人)を動員したライブを敢行した。
正に音楽業界の絶頂期を象徴するような時期であった。
1999年12月31日から2000年1月1日にかけて、L'Arc~en~Ciel初のカウントダウンライブ「RESET>>LIVE *000」を開催。
L'Arc~en~Ciel初のベストアルバム「Clicked Singles Best 13」は120万枚のミリオンセールスを記録しバンドとしての勢いを見せつけた。
今の時代はサブスクリプションサービス全盛の時代でCDが売れる時代ではありません。この当時に作った記録は恐らくこれから先のロックバンドでは超えることは出来ないでしょう。
それでは次はそんな凄まじいGLAYの記録を見ていきましょう…
GLAYの偉大なるCDシングルセールス記録
1997年5月14日発売の11thシングル「口唇」が大ヒットし99万枚のセールスを記録した。
1997年8月6日発売の12thシングル「HOWEVER」が自身初のミリオンセールスを記録。累計売り上げは134万枚。ここからGLAYのとんでもない快進撃が始まる。
1998年4月29日は伝説の日となる。13th&14thシングル「誘惑」「SOUL LOVE」を同時発売。「誘惑」が162万枚。「SOUL LOVE」が137万枚と2作品ともミリオンという偉業を達成。2作品で300万枚超え。
1998年11月25日発売15thシングル「BE WITH YOU」が117万枚。
1999年2月3日発売16thシングル「Winter,again」はバンド史上最高売上げの164万枚を記録。
GLAYはCDシングルでは5作品連続のミリオンセールスを記録する偉業を成し遂げた。
2000年8月23日発売の20thシングル「とまどい/SPECIAL THANKS」も100万枚を超えておりGLAYのCDシングルのミリオンセールスを記録した作品は合計6作品となる。
GLAYの偉大なるCDアルバムセールス記録
1997年10月1日発売した初のベストアルバム「REVIEW-BEST OF GLAY」は初週で200万枚を突破し累計売上では当時歴代最高売上げの487万枚を記録した。(今現在は宇多田ヒカルとB'zに抜かれ歴代3位)
2000年11月29発売のベストアルバム「DRIVE-GLAY complete BEST」は263万枚のダブルミリオン。ベストアルバムは2作品がダブルミリオンのセールスを記録。
1996年11月発売の3rdアルバム「BELOVED」が152万枚。
1998年7月29日発売の4thアルバム「pure soul」が242万枚。
1999年10月20日発売の5thアルバム「HEAVY GAUGE」が235万枚。
オリジナルアルバムは3作連続ミリオンセールス以上を記録。アルバムとしてはベストアルバムを含めると5作品がミリオンセールス越えを記録している。
記録ずくめのGLAY!LIVEでは1日で20万人の伝説の集客を記録!これからも塗り替えられることはないであろう記録の数々
1999年7月31日もまた伝説の日となった。千葉県千葉市美浜区幕張メッセ駐車場特設ステージは東京ドームが四つ入るというとんでもない広さ会場でコンサート「GLAY EXPO '99 SURVIVAL」を開催。
総制作費30億円、警備員3,000人、警察官320人のとんでもない規模のLIVEで「20万人ライブ」と呼ばれている。
GLAYは本当に記録尽くめですね。音楽業界の全盛期に偉大なる記録を作った。ちょうどバンドの勢いも相まってこれから先に超えることの出来ないほどの歴史に残る偉大なる記録ですね。
GLAYの作った偉大なる記録はこれから先も塗り替えられることはないであろう。
L'Arc~en~CielとGLAYは奇跡のロックバンド
やはりL'Arc~en~CielもGLAYも90年代がピークであった。まぁそれはどのバンドやアーティストにも言えることですが。
本当に過酷な全盛期だったと思います。本当に凄い。L'Arc~en~CielもGLAYのメンバーも限界を超えていたのは言うまでもない。
今現在も高い人気を誇る国民的なロックバンドであるL'Arc~en~CielとGLAY。
これからも一日でも長い活躍をL'Arc~en~CielとGLAYには期待したいですね☆
ではまた☆
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