どうも僕です☆今回はWANDSの初代ボーカリスト上杉昇が脱退した理由についてです!
☆コンテンツ★
元WANDSの初代ボーカル上杉昇とは?
参考
本名 上杉昇(うえすぎしょう)
別名 SHOW WESUGI、Show
生年月日 1972年5月24日(51歳)
血液型 A型
身長 172cm
血液型 ふたご座
出身地 神奈川県横須賀市
ジャンル J-POP、ロック、オルタナティブ・ロックグランジ
職業 歌手、シンガーソングライター、作詞家、音楽プロデューサー
所属バンド 元WANDS(ボーカル)
活動期間 1991年~
音楽レーベル pojjo record
所属事務所 office pojjo
WANDSの初代ボーカリスト上杉昇の脱退の理由は?音楽の方向性の違い?
WANDSの初代ボーカリスト上杉昇。
上杉昇は1996年にグループ活動停止し1996年6月30日にギターの柴崎浩と共にWANDSを脱退。
WANDSも後期の頃になるとロック・グランジ・オルタナティブという上杉昇の求めていた音楽性をダイレクトに楽曲で表現するようになっていく。
それにより、WANDSの「もっと強く抱きしめたなら」「時の扉」中山美穂 & WANDSの
「世界中の誰よりきっと」などのミリオンセールスのの大ヒット曲のデジタルポップ路線を望む会社側との間に食い違いが生じ始めた。
のちに上杉昇はこのように語っている。
「自分がいた後期の方向性で続けさせてもらえていたら脱退なんてせずWANDSで自分の音楽を表現していこうと考えたと思う。」
「そんな時期にまたポップなシングル候補を聴かされたのでもうWANDSにいるべきじゃないって強く思ったんですよね。」
「いまだに中山美穂とコラボして売れたやつだろって。結構ショックかな。」
WANDSは上杉昇の方向性に合わせたら売り上げが激減した?
脱退理由はレコード会社から求められるWANDSとしてのポップ路線の音楽と自身の本当にやりたかったロックな音楽性とが合わなかったから。
ロックがやりたいのにj-pop路線で大ヒットし方向性は帰れない。その不満は徐々にたまって彼を苦しめた。
1995年2月13日発売9thシングル「Secret Night 〜It's My Treat〜」この頃から上杉昇のやりたかったロック路線に大幅に舵を切っていきます。しかし…
1994年6月8日発売8シングル「世界が終るまでは…」の120万枚から「Secret Night 〜It's My Treat〜」は60万枚にCD売り上げが大幅ダウン。
1995年12月4日10th シングル「Same Side」では20万枚程度にまで落ち込んでいきます。
ミリオンを連発していた頃から考えると信じられないような売上げの落ち方と言えます。
正直これ以降も2期になっても勢いは戻らなった。WANDSの全盛期はここで終わったと言えます。
上杉昇脱退の理由はロックバンドではあるあるの理由だった?
やりたい音楽がやれないはプロの世界ではあるあるだよね。
ロックがしたいのにポップ。どんなロックバンドもメジャーデビューしたらぶつかる壁だろう。個人的にはヴィジュアル系だとシドとかね。
メジャー行ってからは全然昔と変わったり。仕方ないよ。アニメのタイアップもあるし売れないと意味がないプロの世界だ。
その意味では個人的にはL'Arc~en~Cielとか上手くバランスとってる。
それでも昔ほどのダークな曲は減ったが売れていればある程度自由はきくもんな。
WANDSも「Secret Night 〜It's My Treat〜」辺りから明からに曲調変わって失速してるもんね。
これが上杉昇のやりたかった音楽の方向性だった。個人的には大好きな曲だ。
でもやっぱりガラッと変えちゃうとファンも離れてついてこれないんだよね。売り上げも激減だし。売れないと周りの認めないだろう。プロの世界ですからね。
この頃はCDしかない時代だからな。今なら本当にやりたいんなら上杉のやりたい曲だけ配信でリリースとかも出きるから変わってたかもね。
安全地帯の玉置浩二とかとも似るな。やはり天才肌のボーカルは陥りがちだね。玉置浩二も一時期プッツンきてたもんね。
まぁあれだけ天才的に歌うまいから仕方ないかな天才は。
今では感謝してるって言ってるね。スラダンに。まぁ自分勝手といえば自分勝手か。
でも丸くなった証拠だ。せっかくいい歌声あるんだからもっと歌って欲しいね。
ではまた☆
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