プロモーションを含みます L’Arc~en~Ciel(ラルクアンシエル)

【L'Arc〜en〜Ciel活動の全てが分かる!】今現在から過去のラルクヒストリーまとめ!活動の歴史と歩み…結成から全盛期そしてメンバー脱退と新メンバー加入と活動休止から活動再開色々あった1991年結成から2024年までの30年以上の活動をまとめてみた!

☆コンテンツ★

1993年 ドラムsakuraが加入、1stアルバム『DUNE』発売


1993年1月16日、脱退したperoに代わりsakuraが加入。

加入後、約1ヶ月間のレコーディングに入り、1stアルバム『DUNE』をデンジャークルー・レコードより発売した。

1993年5月10日付のオリコンインディーズアルバム週間チャートでは首位を獲得し、インディーズでの人気を不動のものとする。

 

この年の夏、当時レコード店でアルバイトをしていたtetsuyaが「店に来た担当の人間を気に入った」という理由から、

1992年にソニー・ミュージックエンタテインメント内で新規レーベルとして設立されたばかりのキューンソニーレコードと契約を結ぶ。

所属事務所の社長である大石征裕は、

「当時のソニーはメジャー志向のアーティストを続々とヒットさせていて、当時はサブカルチャー寄りだったラルクに興味を持ってくれるか最初は不安だった」と述べている 。

 

1994年  L‘Arc~en~Cielメジャーデビュー


1994年7月1日、ビデオシングル『眠りによせて』を発売し、メジャーデビュー。

7月14日には2ndアルバム『Tierra』、10月21日にはシングル『Blurry Eyes』を発売し、メジャーレーベルでの本格的な活動を開始した。

ちなみに、当時メンバーの口からメジャーデビューの発表は一切行われていない。このことに関して、tetsuyaは「ライブや広告でメジャーデビューを発表するトレンドが嫌だった」と述べている。

メジャーデビュー直後はインディーズ時代からのファンも多かったが、デビュー後初めて行った全国コンサートツアー『Tour Sense of time '94』の東京ベイNKホール公演などで

チケットが売れ残ってしまうという事態が発生した。以後、スタッフに全て任せていたコンサートの会場決め、プロモーションなどを

インディーズ時代のようにメンバー主導で行うようになった。

1995年 初の日本武道館公演『TOUR heavenly '95』を開催


1995年1月からは公式ファンクラブ『Ciel(現・LE-CIEL)』の発足記念ライブツアー『Ciel/winter '95』を開催。

5月21日からはライブツアー『in CLUB '95』を開催する。ツアー初日に合わせ、ビデオシングル『and She Said』を発売。

さらに、同ツアーでは同年9月にリリースされる3rdアルバム『heavenly』の収録曲を先行披露して廻るなど、ライブを積極的に行う活動にシフトしていく。

また、アルバムを引っ提げて行われたライブツアー『TOUR heavenly '95』では初の日本武道館公演を開催し、徐々に人気を広げ動員規模を拡大していった。

1996年  ヒット作『frower』の発売、4thアルバム『True』で自身初のオリコン週刊アルバムチャート首位、ミリオンセラーを記録


1996年5月に、ライブツアー『Kiss me heavenly deadly '96 REVENGE』を開催し、2年前のリベンジとなる東京ベイNKホールでのSOLD OUTを達成。

また、7月からシングル3作品を立て続けにリリースした。中でも10月17日に発売したシングル『flower』は累計30万枚以上を売り上げるヒット作となった。

さらに、12月には4thアルバム『True』を発売。過去のアルバム3作と異なり、富樫春生、岡野ハジメ、秦野猛行、小西貴雄、西平彰、佐久間正英の計6人の共同プロデューサーを迎えて制作された。

本作以前のアルバムは、ほとんどの楽曲がセルフプロデュースで制作され、楽曲もメンバーが好んで聴いていたザ・キュアーやザ・スミスといったニュー・ウェイヴや

ゴシック・ロックの影響を受けた楽曲が多かったが、思っていたほどセールスが伸びていなかったことから、バラエティに富んだポップ色の強いアルバムとして本作が制作された。

本作について、hydeは「僕らにやりたいことが山ほどあったから、ここでポップな曲での攻撃を覚え始めた」

kenは「(L'Arc〜en〜Cielが)売れねえって声が聞こえた時、当時自分が一番曲を書いていたから、"曲が悪いんだろう"、"俺が悪いんだろう"、"そりゃ売れねえの作ってるよ、俺は"と思っていた。

だから"じゃあ売れるの作りましょうか"っていう気分で『True』の制作にあたった」と話している。

 

その結果、発売6週目でメジャーデビュー後自身初となるオリコン週間アルバムチャート首位を獲得。その後、チャートに自己最長となる110週ランクインし続け、

シングル・アルバム通じて初のミリオンセラーを記録し、「L'Arc〜en〜Ciel前期の集大成」と呼べる作品となった。

また、この頃から作品リリースに合わせプロモーションのため、テレビ朝日系番組『ミュージックステーション』などの音楽番組に頻繁に出演するようになる。

 

1997年  ドラムsakura 逮捕と脱退、L‘Arc~en~Ciel活動休止と復活、初の東京ドーム公演


前年から1997年初頭にかけ、初のアリーナ公演を含むツアー『CONCERT TOUR '96〜'97 Carnival of True』を開催するなど人気は過熱しはじめ、ヒット街道を驀進するものと思われたが、

1997年2月24日にドラムのsakuraが覚醒剤取締法違反で現行犯逮捕される。これにより、活動予定を全て白紙化することとなった。

それに留まらず、これまでにリリースした全てのシングル・アルバム・映像作品の出荷を一時停止し、L‘Arc~en~Ciel活動休止体制へ突入した。

 

sakuraの逮捕後、活動休止中のメンバーは曲作りとリフレッシュの名目で渡英する。シングルの制作やプロモーションのため一旦日本に戻るも、ミュージックビデオの撮影も兼ねて再度渡英し

さらにドイツを巡るなど数ヶ月の間ヨーロッパに滞在していた。この間にサポートドラムとして元ZI:KILL、DIE IN CRIESのドラマー、yukihiroが参加したセッションなどが行われ、

1997年10月にL‘Arc~en~Cielは休止から活動復活。直後に発売したシングル『虹』は初動30万枚、累計70万枚以上を売上げ、当時の自己最高初動・最高売上を記録した。

11月4日には、sakura正式に脱退することが発表された。脱退理由は音楽性の違いだといわれている。

 

12月には、L'Arc〜en〜Cielのコピーバンドthe Zombiesを期間限定で結成。同月16日から18日の3日間限定で、変名バンド名義でライブ『Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE』を

東京・大阪のライブハウスで開催した。さらに12月23日には、L'Arc〜en〜Cielとして初となる東京ドーム公演『L'Arc〜en〜Ciel 1997 REINCARNATION』を開催。

当時の東京ドームの愛称であった「ビッグエッグ」にちなみ、<おおきなあたたかいたまごから僕たちはもう一度生まれた>というコンセプトのもと再始動を予告した。

本公演のチケットは当時の最速記録である4分で完売。当時絶頂にあったバンドブームと重なり、爆発的人気を得ることになった。

また、tetsuyaはこの公演を振り返り、「賭けだった」と述べており、「同じような会場で同じようなことをやっても、ラルクはもうダメになっちゃったと思われるんじゃないかって、

だから絶対に良くなったって思わせたかった」と語っている。

 

1998年 ドラムyukihiroが加入 シングル3作同時発売、シングル2作同時発売で2度のシングルチャート1位・2位の独占


1998年1月1日、サポートドラマーとして参加していたyukihiroが正式に加入。加入直後にシングル『winter fall』を発売し、自身初となるオリコン週間シングルチャート首位を獲得。

翌月には5thアルバム『HEART』を発売。前作の制作に参加した岡野ハジメ(ex.PINK)が本格的に共同プロデューサーとして携わる最初のアルバムとなった。

ドラムが手数の多いyukihiroに変わり、ドラムがタイトかつシャープなスタイルになったことや、kenのギターの音色がグランジ寄りに変化し始めたことから

以前と比べグランジ、オルタナ色の強い音楽性に変化していくこととなった。また、本作はアジア各国でアルバムの海賊盤が多数出回り始めたことや、海外からの要望が高まったことから

日本の他、台湾、香港、タイ、マレーシア、シンガポールのアジア6ヶ国においてリリースされ、結果的にこれがL'Arc〜en〜Cielとして海外進出する第一歩となった。

 

1998年5月より自己最長となる全国45都市56公演にも及ぶホールツアー『Tour'98 ハートに火をつけろ!』を敢行。

tetsuyaはこの長期ツアーを振り返り、「yukihiroが加入した後だったので、この4人がL'Arc〜en〜Cielなんだというイメージを植え付けたいという意識がどこかにあった」

「そのためにはそれまでにやった以上に数多くのライブをやることだな、たくさんリリースすることだなって思ってた」と話している。

 

アルバム発売以降も連続かつ集中的なリリースパターンを取り、7月には『HONEY』『花葬』『浸食 〜lose control〜』のシングル3作を同時発売した。

この同時発売により、発売2週目にはオリコン週間シングルチャート1位と2位を独占し、「HONEY」「花葬」の2作がシングルとしては初のミリオンセラーを記録

中でも自身のシングル最高売上を記録した『HONEY』は、全日本有線放送大賞を獲得するほか、初出場となったNHK紅白歌合戦において披露された。

さらに、10月には『snow drop』『forbidden lover』のシングル2作を2週連続発売し、オリコンチャート史上初2度目のシングルチャート1位と2位の独占を達成し大きな注目を浴びた。

なお、この年リリースしたシングル7作全てがオリコン年間シングルランキングTOP30入りを果たした。

 

1999年 アルバム2作同時発売、自己最大規模の野外ツアーGRAND CROSS TOUR開催


当時B'zやGLAYらのベストアルバムがJ-POP界にて市場を席巻していたことから、巷では「ラルクもベストアルバムを出すのでは?」との噂が囁かれていたが、

金屏風の前で紋付羽織袴姿のメンバー集合写真と共に「本年もよろしくお願いします。L'Arc~en~Cielは、1999年ベストアルバムは出しません。オリジナルアルバムをお楽しみに」と

年初の挨拶広告を新聞紙面に打ち出した。その予告通り、7月には6thアルバム『ark』と7thアルバム『ray』のアルバム2作を同時発売。

2作合わせて初動300万枚以上、トータルセールス600万枚以上を売り上げ、2作ともオリコン歴代アルバムランキングTOP100にランクインするほどの大ヒット作となった。

本作は日本を含め、台湾、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンのアジア7ヶ国においてリリースされた。

また、同時期からフリーの映像ディレクター・箭内道彦が主な広告ディレクションを担当するようになり、藤原喜明、風間杜夫やユースケ・サンタマリアの起用をはじめとする

バラエティに富んだ広告展開を行うようになる。

 

1999年7月からは自身初の野外ライブツアー『1999 GRAND CROSS TOUR』を全国6都市で開催。

「誰もコンサートをやっていないところでライブをやろう」という目的から既存のスタジアムを用いず、各会場に特設ステージを設置する大掛かりなものとなり

全12公演で65万人を動員する自己最大規模のツアーとなった。hydeはこのツアーをバンドの歴史の中で一番記憶に残っているコンサートとして挙げており、

「このコンサートはホントに未だに夢のように思いますね。人の地平線に向かって歌えたという。この時期の集大成です」と述べている。

8月21日・22日に行われたこのツアーの東京・東京国際展示場 駐車場特設ステージ公演では、自己最多動員数となる12万5千人 (両日25万人)を動員したライブを敢行した。

さらに、21日の東京公演はViewsic (現・MUSIC ON! TV)で、自身初のアジア各国におけるコンサートの同時生放送が行われた。

2000年 自身初のカウントダウンライブ、自身初の4大ドームツアー開催


1999年12月31日から2000年1月1日にかけて、自身初のカウントダウンライブ『RESET>>LIVE *000』を開催。

資生堂「ピエヌ」CMソングに起用された『NEO UNIVERSE』を2000年代突入の一曲目として初披露し、同月にメジャー初の両A面シングル『NEO UNIVERSE/finale』としてリリースされた。

7月にはシングル『STAY AWAY』をリリース。ミュージック・クリップはCGを用いたダンス表現が話題となり、

音楽専門チャンネルスペースシャワーTV主催の音楽賞『SPACE SHOWER Music Video Awards 00』においてBEST VIDEO OF THE YEARを前年の『Pieces』に続き2年連続で受賞。

 

8月には8thアルバム『REAL』を発売。前作の反動からハードロックの要素の強い作品となり、これまでとセールス面では多少見劣りするものがあったが、アルバムとしては5作連続ミリオンセラーを記録した。

1998年の活動再開から2000年までの3年間で、シングル13作、アルバム4作ものリリースし、その内の9作がミリオンセラーを記録。

さらに、前年の自己最大規模の野外ライブツアーとは正反対のコンセプトとなるライブハウスツアー『CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE』を10月から開催。

同ツアー後、立て続けに自身初の4大ドームツアー『TOUR 2000 REAL』を開催した。

2001年からに続く↓

次のページへ >